ロータリーと私
R財団・米山奨学金委員会 今井芳明
ロータリーと私
R財団・米山奨学金委員会 今井芳明
わたしがRCに入会したのは48歳の時でした。「新しいRCができるので、チャーターメンバー(創立時の会員)になれ」と言う先輩の言葉にさそわれて、RCと言う会の内容も目的も、何も知らずに入会しました。入会してしばらくたって、この会の目的が「奉仕」であることをしり、「しまった」と早くも後悔しました。
48歳の私は、「他人に奉仕する」意志など全く無くて、自分を訓練する、研鑽することしか頭にありませんでした。その上に、R財団委員会や米山奨学金委員会から会議のたびに「寄付を」と同じことを繰り返されるので、腹が立って、辞めようかもと思いましたが、考え直して、どういう目的で、どんな人たちがこんな組織を作ったのか、調べてみようと思い、RC創立の歴史
を勉強したのですが、そこには「奉仕」などと言う言葉はどこにも出てきません。
皆さんご存知のとうり、1905年ころアメリカのシカゴで、ポールハリスを中心に4人の経営者が集まって、経営者の会を作ろうとしたのですが、その目的は「奉仕」とは全く関係がない「自己研鑽と親睦」でした。これは今でも、RCの活動の中心として、言葉を変えて残っています。当時、資本主義社会が出発して、皆が豊かになり、たのしい社会が実現すると思っていたのが、実際には経営者の社会性が不足し、搾取することばかりに熱心になり、労働者も疲弊する社会が出現してしまった。そのことを憂いて、改善するためにハリスたちが立ち上がった、と言うことになっていますが、これはあとから修飾されたロ
ータリー用の物語です。自分たちの仕事がうまく立ち行かない、利益が上がらない。そこで異業種である4人がお互いの情報を持ち寄り、お互いの仕事を助け合って、利益を上げよう、との目的で会を立ち上げたのです。
自己研鑽に励んだことは確かですが、その目的は奉仕ではありません。自分の仕事を繫栄させ、自分自体を前進させることです。しかしこれでは社会団体、組織として、周囲の人たちから信頼され、入会者が集まってくるわけがありません。逆にこの組織は自分の利益を追求するための組織であると批判を受けるようになります。そこで改革を計り、現在のように目的を「奉仕」として再出発を測るのですが、いつからそうなったのか、だれが提案したのか、私の勉強不足もあり、今でもわかりません。
なぜ目的が奉仕になったのか。社会開発でも町ずくりでも倫理でもいいと思う
のですが、これをお話しすると、このスペースでは足りませんので次回にします。簡単に言いますと、人間の大半が、人生の最終目的として到達するところが、「人の役に立ちたい」すなわち奉仕だからだと思います。
私はハリスたちが最初に目的とした「自己研鑽と親睦」が、非常に気に入っています。これが今のRCにも残っているといいましたが、言葉が変わりました。親睦はそのままですが、自己研鑽は「職業奉仕」と呼ばれるようになり、いまでもRC活動の中心の柱として存在しています。
RCの目的が奉仕に変わったことにより、5大奉仕が叫ばれ、その1つとして 自己研鑽が職業奉仕と呼ばれるようになったのですが、これは他の4つの奉仕(クラブ、社会、国際、青少年)とは性格が違います。
他の4つの奉仕は、RCの会員、地域社会の人々、外国の人々、青少年という世界中の人たちにもれなく奉仕をする奉仕活動を目指しますが、職業奉仕は他の人に奉仕することではありません。
あえて奉仕と言う言葉を使うとすれば、自分に対する奉仕活動が職業奉仕なのです。重複になりますが、自己研鑽に励むことが職業奉仕なのです。親睦と職業奉仕が、いまでもRCの活動の柱となっていますが、それはRCと言う組織を作った創立者たちの最初の目的だったからだと思っています。私が今でもRCに残っているのはこの目的が気に入ったからだと思っています。
ロータリアンだから奉仕を目的にしなくてはならない、とは思いません。
活動を通じて、自分に合った目的を見つけてください。