自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 会員 清水 邦彦様
自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 清水 邦彦
このたび、自己小伝の記事執筆の機会をいただきました。 僭越ながら自身のこれまでの人生を振り返りながら、ご紹介させていただきます。
私は昭和31年(1956年)長野県松本市で、2人の姉を持つ長男とて生まれました。 小学校高学年の時、ボーイスカウトに入団し、高校生まで活動していました。 また、高校時代は山岳部に入り北アルプスを中心に、テントや食料を背負って3,000メートル級の山々を登っていました。
松本市内から西に望む北アルプスと東に望む美ヶ原高原は、私の少年期の原風景のひとつとして脳裏に焼き付いています。
成人後、24歳で在京の大手陸運企業に就職しました。 当時の日本社会は高度経済成長の真っただ中、1986年頃から始まるバブル経済の前夜で輸出業務が忙しく、朝早くから夜遅くまで残業をしても仕事が終わらない日々でした。
配属されたのは、海外との輸送に関わる国際輸送部門で、品川のコンテナヤード近くの事務所で、英文タイプを使って税関申告書類を作成などをしていました。 たまたま大学時代ESS(英語サークル)で、英語のコミュニケーションに慣れていたため、入社する時点で海外勤務にあこがれを抱いていました。 職場には海外勤務経験者や、海外に赴任していく先輩もいたため、海外勤務のチャンス待っていたところ、入社5年目社内の選抜試験に合格し米国シカゴ海運貨物支店に一年間の研修に出させていただきました。
シカゴの研修から定年までに海外勤務が合計4回、合計20年超ドイツ・イギリス・アメリカと各6年〜7年程現地で生活することとなりました。 いま振り返ると家族帯同し、異文化で外国語での仕事は、国際的な感覚や視野を広げることができ、家族ともどもかけがえのない経験となりました。現地の小学校で苦労した二人の娘は、いわゆる帰国子女として帰国し、いまでは二人とも結婚し家庭を築いています。
定年退職の数年前に関係先のコンサルタント財団に出向となり、国から発注される港湾・空港のインフラ整備関連の調査・研究案件にたずさわり、現在でも非常勤職員としてお世話になっています。
また、コンサルタント財団の仕事の他、自宅近くの老人福祉施設の送迎ドライバーのアルバイトと、現役時代培った国際物流の知見を活かし、米国クラウド情報サービス会社のアドバイザーとして、フリーランスで仕事をしております。
定年退職後は、自由時間が増えたため、いろいろな趣味にチャレンジしております。 茶道(裏千家)を6年前から、陶芸は3年前から教室に通っております。先般お送りいただいた「ロータリーの友8月号」で、裏千家の千 玄室様がロータリー日本財団の理事長をされていることを知り、茶道とRCとのご縁や日本固有の文化に気持ちをあらたにしました。
中学時代部活で始めたトランペットは、長いプランクを経て50歳をすぎてからヤマハ音楽教室で再開しました。最近ではYOASOBIの「群青」など、最近の楽曲を合奏しております。
アウトドアーは、山登りの他にも米国駐在中に始めた海釣り・渓流釣りにも出かけています。
結びになりますが、堀川事務局長にご紹介で7月に入会したものの、一人前のロータリアンになれるかわかりませんが、経験を生かして、また皆様との交流を通じて、積極的にRC活動に関わってまいりますので、よろしくお付合いいただければ幸いです。
ありがとうございました。
(清水 邦彦)