自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 会員 小林 陽子様
自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 小林 陽子
1971年栃木県小山市生まれです。大学進学で東京に出て20数年間、家庭を築き、子育てや仕事をしながら東京で生活しましたが、2016年4月に夫とともに夫の実家のある安曇野市にUターン就農しました。2017年10月より安曇野市議会議員としても活動しています。
東京から安曇野市にUターンできたのは、長男が大学を卒業したこと、次男が小学校に入る前であったこと、銀行に勤めていた夫の仕事に区切りがついたこと、とタイミングがちょうど重なったことも要因でした。学生結婚して長男を出産し、3年間学内の保育所に預けながら大学に通いました。卒業後は子育てをしながら、銀行勤務の夫と共働きで法律事務所や通訳翻訳事務所等に勤め、のちにファイナンシャルプランナーの資格をとり、生活設計の相談やセミナー講師として仕事をしていました。長男が高校3年生の時に次男が生まれ、保育園に預けながら仕事をしていましたが、2011年3月の東日本大震災をきっかけに、消費中心で忙しい東京の生活に疑問を感じ、自然豊かな安曇野で子育てをしたいと願い移住しました。
Uターン就農に際しては、夫の父のアスパラガス畑を引き継ぎつつ、野菜中心で、トマトの施設栽培、玉ねぎやその他野菜を栽培し、JAや直売所への出荷や、飲食店などへの直売など行なっています。また「野菜定期便」と題して、主に首都圏のお客さんに定期的に農産物を宅配する取り組みも行なっています。東京にいたときには、夫の両親が自家製の米や野菜を送ってくれたのが力になりました。今度は自分たちがその役目をしたいと思っています。コロナ禍のため昨年からできていませんが、都会の中学生を受け入れる農家民泊や非農家の友人と旬の野菜を楽しむ会もしています。農業は生産だけでなく、都会と地方、農家と非農家、等つないでいけたらと思っています。
実際に安曇野で生活してみると、若い人がいない、農業従事者の高齢化、女性の地位が低い、子育て世代の声が届かない、という現実に直面しました。ちょうど公募していた第二次安曇野市総合計画の審議会の委員となり、市の今後10年間の計画について女性、子育て世代、農業者として意見を述べました。審議会は市内の商工業、農業、教育、福祉等の代表者で構成され、委員は9割が男性。現実との壁を感じました。これではまったく言い足りないと思ったことが、市議会議員になることを決意したきっかけでした。
今の立場で取り組みたいことは、
・女性の地位を上げ女性が輝ける社会にすること(日本のジェンダーギャ
ップ指数は120位であること、自分が経験したように普通に仕事をして
普通に子育てできることが当たり前にしたい)、
・次世代を担う子どもたちが幸せに育つ地域社会をつくること(長野県は
子どもや若い人の自殺率が高い)、
・地方から日本を変えること(硬直化した社会は多様性を認めないことが
原因の一つ、県内の若手自治体議員とパリテ・カフェの取り組みなど)
です。
趣味としては中学校の吹奏楽で始めたフルートです。育児や忙しさなどで中断した時期もありましたが、社会人になってからもレッスンに通い、アンサンブルやオーケストラなどで続けてきました。安曇野では、安曇野市消防団音楽部に所属しています。またチューバ吹きの夫や音楽仲間と「安曇野おとのわ」という団体を設立し、安曇野の音楽のすそ野を広げたいというコンセプトで、コンサートの企画や施設への訪問演奏等に取り組んでいます。安曇野でも音楽のわ、人のわを広げていきたいという思いです。
市議立候補の際に力強く応援くださりお世話になっている笠原芳子さんのご紹介により、信州友愛ロータリークラブの一員に加わらせていただいたことを感謝しております。今後ともご指導のほど宜しくお願い致します。