自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 会員 宮田 繁二郎様
自己小伝 信州友愛ロータリークラブ 宮田 繁二郎
今回、「自己小伝」とのお話をいただきましたので、改めて「自己」について考えてみましたが、今まで、自己について深く考える機会がなかったことに気付きました。
このような機会を頂きましたことに感謝申し上げます。
1956年6月26日生まれです。信州友愛ロータリークラブ認証状伝達式当日に65歳になりました。生まれた場所は、現在住んでいる、長野県上田市です。
実家は、しなの鉄道の大屋という駅のすぐ近くで、大正時代から食料品販売店を営んでいました。
母の生まれが、富山県でしたので、当時は氷見漁港から新鮮な魚を仕入れて、信越線を利用し運んで販売していたそうです。
近隣からたくさんのお客様で賑わっていたそうですが、物流事情も大きく変わり郊外に大型店が出来始め、自分が中学校に入学するころには、時代の変化を察し、店仕舞いしました。
物心のつく頃から、店に来るお客様と接していたことが、自分の考え方や、判断に大きく影響していたのかもしれません。
高校を卒業して、日本電子工学院専門学校で、電子工学を学びました。
場所は、東京都大田区鎌田でした。町工場のメッカで、中古の電気部品などを売っている店が沢山ある秋葉原のようなところで、オーディオ機器の自作を目指す者には、聖地のような場所でした。自分も友達と競いながら、毎日のように部品を買い集め、オーディオアンプの自作を夜な夜な半田ごてを片手に勤しんでおりました。
その頃は、今のようなデジタル技術はなく、専らアナログの世界でした。学校の授業でようやく「パルス符号化変調」という現在のデジタル通信の基盤ができる直前の技術を学んでいました。ソニーのウォークマンが全盛の時代でした。
日本電子工学院を卒業し、就職活動に入りましたが、オイルショックの真っ最中で、長野県内には全く就職口がなく、呆然としていると、実家の近くに住んでいた方から、近くで電子部品の製造を行っている会社にお誘いを受け、その会社で、可変抵抗器や、コンデンサの製造を約一年間行いました。
一年半を過ぎた頃、上司から、「今、上田の山洋電気で後輩が部長をしているんだが、行ってみる気はないか」と背中を押され、現在の会社に入社しました。
1978年9月のことでした。今年で勤続42年になります。人生の2/3を同じ会社で働くことが良いか、悪いかですが。
自分としては、あっという間の出来事という感覚で、竜巻に巻きこまれ、「気が付いたらこんなところに居たよ」という感覚に近いです。
今だから、笑い話になりますが、当時はちょうど工作機械の自動化が始まったばかりで、工作機械の製造メーカ、それらを使った自動車メーカや、町工場などから様々な依頼が来て、月曜日に会社を出たら、日曜日に会社に戻る。宿泊は夜行列車の中・・・なんて今ではあり得ないことも時々。そんな時代もありましたが、お客様に喜んでいただけると、疲れも吹っ飛び、今では良い想い出になっています。とにかく変化の連続の中で今に至っています。
その当時一緒に現場で苦労をしたお客様の中には、まさに戦友的な意識が芽生え今でも懇意にして頂いている方もいます。
山洋電気という会社について簡単に説明します。
1927年 山洋商会を創立,電気部品の輸入販売を開始
1932年 東池袋に山洋商会特殊電機製作所を開設
1942年 山洋電気株式会社に社名を変更 本社は東京都大塚
1944年 長野県上田市に工場を開設 以降上田市に5つの工場と1つの開発拠点を開設しています。
1988年 SANYO DENKI EUROPE S.A. (フランス)を設立
以降海外に14の子会社を設立。アメリカ、フィリピン、中国(上海、香港、深圳、中山、天津)、シンガポール、ドイツ、韓国、台湾、タイ、インド
国内では、3つの子会社を設立。山洋工業株式会社、山洋電気テクノサービス株式会社、山洋電気ITソリューション株式会社、最後の山洋電気ITソリューション株式会社は、本年4月に設立され、現在私が社長を行っております。主に社内で使用するIT機器のソリューション提案、保守、開発が主体です。
山洋電気に入社した時、検査、品質管理という部門に配属されたのが良かったのか、お客様の立場と製造する立場の表と裏が良く見えて、これから何をすれば良いのか、現状打破の改革意識に燃えていました。
時はまさにパーソナルコンピュータが生まれ始めるころ。今まで人間が行っていた業務をPCでできないだろうか。計測器もアナログからデジタルへ変化を始めていました。計測器をPCにつなげて自動計測や、制御ができないだろうか。いちいちプログラムを書かなくても、もっと直感的にわかりやすい操作で自動計測ができないだろうか、等々やりたいことは山のようにありましたが、日々の業務に忙殺され、実行に移せず悶々としていたある日、当時システムイン信州というPCショップからの紹介で、金児 進さんという一風変わったエンジニアとお会いする機会を得ました。手始めに取り掛かったのが、弊社の製品で使用している制御基板の実動作試験の自動化でした。BASIC言語を使って見事に完成。
今まで40分ほど掛かっていた99項目の調整や検査をわずか3分ほどで間違いもなく、今まで使っていた紙のチェックシートもなく、誤記や判断ミスもなく、検査者の恣意性も排除することができました。
未だ、エールシステムが起業する前のことでした。
その後、金児さんは起業して現在のエールシステムを創業されましたが、創業に際しては、一緒にやりませんかと、お声がけも頂きました。
今でも、家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いております。
その後も、自動化、省力化に関する案件は尽きるところを知らず、気が付いてみれば、当社の中は、この99項目の自動検査をスタートに、検査だけにとどまらず、すべての工程において、自動化や、作業をアシストしながら、間違いや、恣意性を排除するシステムが、全工場に展開され、ERP+サブシステムを中心にしたネットワークで、リアルタイムに業務の進捗や、状況の把握、部品の入庫から、完成品の出荷までの全領域につき、自動化、見える化が敷衍されております。
山洋電気という会社に身を置き、42年間会社に奉仕を尽くしてきたわけですが、今回信州友愛ロータリークラブに入会させていただいたことで、改めて「自己」を見つめなおす機会を与えて頂きました。
70歳までの雇用延長の時代ですが、健康と、気力を維持しながら世界に広く奉仕の心を広げて頑張りたいと思いますので、皆様のご指導のほどよろしくお願い申し上げます。