信州友愛ロータリークラブ 例会
2021年6月30日開会 (通算25回)

例会開催は、毎週水曜日0時より開催となっております。

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

皆さん、こんにちは。
過日6月26日は、信州友愛ロータリークラブ最大のイベントである「国際ロータリー・クラブ加盟認証状伝達式」が執り行われました。
スポンサークラブを持たない当クラブは自主でこの式を執り行ないました。

 本来ならば、スポンサークラブが主催し、内外に広くクラブ誕生を告知するというイベントになります。
一般的には100名以上のご来賓をお迎えし、盛大にチャーターナイトの晩餐会が行われるのが通例です。
当然ですが、コロナ禍もあり、かなり縮小してのささやかな伝達式になってしまいましたが、華やかさと別としてEクラブとしてこの2600地区に誕生した意義を示し、これからのクラブの運営において一石をを投じたと自負しております。

変化は皆さんから不快に思われ、改革は疑念と批判にさらされるのが世の常であります。
それでも前に進むには新しい試みは必ず必要です。私達はクラブ運営において、もう一つの手法を提案しているのであって根幹を改革しようとしているのではありません。
多くの会員が入りやすく、親しみやすく、楽しく過ごせるクラブ運営を目指しているだけです。
このEクラブの方式と既存のクラブ運営のハイブリッド方式こそが、これから新しい時代にマッチしたロータリーの世界ではないでしょうか。
そんな気持ちを込めて当クラブの認証伝達式を無事に終えて決意を新たにするものです。
このクラブ認証状伝達式の模様は映像に記録され、また次年度において製本化する予定です。




本日の卓話は クラブ会員の丸山 耕一様にお願いします。プロの写真家ですので、さすがに写真の構図などは大変素晴らしく技術性があります。
 

メークアップ&ニコニコボックス

下記の皆様よりニコニコボックスを頂きました。

信州友愛RC 乾みゆ紀君
「今週末の認証状伝達式で皆さまにお目にかかれますのを心より楽しみにしております。どうぞ宜しくお願い致します。」

信州友愛RC 金児進君
「クラブ認証状伝達式まであと少しですね。クラブ会員一丸となって成功させましょう。よろしくお願いします。 」

信州友愛RC 小池晃君
「祝 チャーターナイト!! 金児会長、大嶋実行委員長、原田先生ありがとうございました。いよいよ本格的に信州友愛RCが動き出します。リアル例会もよろしくお願いします。」

信州友愛RC 高木和久君
「会員の皆さま、26日のチャーターナイト、お疲れさまでした!」

信州友愛RC 古川静男君
「6月26日の認証伝達式、本当にご苦労様でした。クラブにとって素晴らしいスタートになったと思います。これからも全員でコミュニケーションを取りながら、楽しいロータリーライフをエンジョイしていきましょう。」

信州友愛RC 大嶋三紀夫君
「国際ロータリー加盟認証状伝達式、滞りなく無事執り行われました。会員の皆さんのご協力に感謝いたします。信州友愛ロータリークラブの益々の発展を目指しましょう。」

信州友愛RC 金児進君
「6月26日認証状伝達式が無事に、また大成功に完了しました。大嶋実行委員長、堀川幹事はじめ、古川クラブアドバイザー、サンクスメンバーの丸野さんのご尽力と会員皆様の暖かいご協力によるものです。心から感謝申し上げます。このクラブが益々発展しますように。」

信州友愛RC 市川誠君
「認証状伝達式の成功を祝して。 」

信州友愛RC 市川誠君
「堀川幹事様 資料をお届けいただき ありがとうございました。」



下記の、1名の皆様よりメークアップを頂きました。

藤森康友様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
送ったのに証明書が来ないなどご不明な点がありましたらお知らせください。

卓話

自己小伝

信州友愛ロータリークラブ 会員 丸山 耕一様
      自己小伝
            信州友愛ロータリークラブ 丸山 耕一



この度、例会卓話として自己小伝の機会をいただき、誠ありがとうございます。
おはずかしながら、私のこれまでについて書かせていただきます。
 
私は1963年10月松本の駅前で生まれました。小さいころは駅前商店街の仲間と一緒に遊び、その中の一人が現松本市長の臥雲 義尚君です。同じ年ということもあり、よく一緒に遊びましたが、小学校1年の12月に松本市駅前の区画整備で松本市の沢村に引越ました。
そこはいまでは、住宅が立ち並ンでいますが、行った当時周りはリンゴ畑と桑畑ののんびりとした所でした。小学校4年の時に友人に誘われてスイングスクールの夏休み教室に入り、そのまま水泳に40年関わることなるとは、その時は思いもしませんでした。
小中高と水泳漬けの毎日となり、長野県の強化指定選手にもなり、国体にも2回出場しました。その後大会運営の役員をしておりましたが、現在水泳は手放しています。
 1985年に証券会社に新卒で入社。バブルスタートの年でその後相場の天底を見ることになりました。今の日本からするとあの活況は、なつかしいと同時に現在の日本の現状には非常に寂しさを感じえません。
 現在はフォトグラファーを仕事としていますが、皆さんから、どうやったらそこにたどり着くのかと、よく聞かれますのでその成り行きを書かせていただきます。
 写真は中学のころから好きで撮っていて、学生時代は現像所にアルバイトにも行き、あの頃はまだフィルムの時代で、成人式の時、 着物姿の女性は当日写真を撮っていましたので、翌日から朝から夜中まで暗室に入り、帰る時に外に出ると膝まで雪が積もり、どうやって帰ろうかと思うこともありました。
 その後サラリーマン時代も、お客さんに頼まれイベントや、結婚式の撮影をしていました。サラリーマンを辞めた後、イベントの撮影をしていてプリントはどこに出そうかと思い、パンフレットを見ると知り合いの写真屋さんが広告を出していたので、そこに出すのが筋だなと思い出しに行った時に、写真が撮れるなら仕事を手伝ってくれと言われ、それから主軸をフォトグラファーとして歩みだしました。
その後スタジオと契約し、ブライダル・修学旅行・学園祭などいろいろな体験をし、スイミングスクールの水中撮影をしていた時には、日本中を飛び歩き1年の半分はホテル住まいになったこもとありましたが、現在は人物撮影を中心に活動しています。
 最後になりますが、私は3年から5年ごとに人脈が大きく変わります。なんでかなと考えていましたが、あるセミナーを受けた時に、いつまでも過去のこだわりを握りしめているのがわかり、思い切って手放してみることにしました。そうしたところ肩の重荷が取れて、身軽になったのを今でも覚えています。それいらい、物もそうですが、考え方や仕事のやり方など、いったん手放して必要なら改めて握るようにしています。不思議と手放しても、新しい物が空いた隙間に入ってくるものですね。

改めて振り返ることができました。ありがとうございます。
皆さま、これからもよろしくお願いいたします。

      ~~~~~~~ 写真集 ~~~~~~~~


丸山耕一