信州友愛ロータリークラブ 例会
2021年6月9日開会 (通算22回)

例会開催は、毎週水曜日0時より開催となっております。

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

ロータリーソング 「奉仕の理想」
1.
奉仕の理想に集いし友よ  
御国に捧げん我等の業
望むは世界の久遠の平和  
めぐる歯車いや輝きて
永久に栄えよ 我等のロータリー ロータリー

皆さんこんにちは。
次年度のクラブ活動の指針として、会員各自の奉仕活動についてクラブで表彰する制度を活用していこうと考えています。


ロータリーでは、人びとの生活を豊かにするため、クラブに活気をもたらすため、そして平和な世界を築くために、ロータリーでの奉仕に力を尽くした方々に表彰というかたちで感謝の気持ちを伝えることができます。

私達は奉仕活動やクラブでイベントなどに参加するうえで、クラブやロータリーでの自身の存在意義を確認できればさらにロータリーやクラブに対する意識も高揚するものと思います。

Eクラブでの「I Serve」実践をクラブに公表し、クラブにてそれを表彰する制度は国際ロータリーで推奨されています。
もちろん、クラブ自体の表彰(ロータリー賞)があります。
ちなみに、ロータリーにおける表彰には下記のようにたくさんあります。

クラブの表彰

ロータリー賞(ロータリークラブ)

ロータリークラブに対して贈られる最も重要な賞です。

推薦者: クラブ役員
推薦締切日:6月30日
表彰形式:電子形式の表彰状

 

意義ある奉仕賞

地域社会の重要な課題やニーズに取り組むプロジェクトを実施したクラブを表彰する賞です。

推薦者: クラブ会長
推薦期間: 通年
表彰形式: 電子形式の表彰状

 

個人の表彰

奉仕部門賞(地区による表彰)

地区からの表彰という形で、クラブは5つの奉仕部門における奉仕活動に参加したロータリアンまたはローターアクターを称えることができます。奉仕部門は、クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕、青少年奉仕です。

推薦者: クラブ会長
推薦期間: 通年
表彰形式: 電子形式の表彰状

 

奉仕部門賞(RIによる表彰)

地区は、すべての奉仕部門で奉仕活動を実施した会員を、世界レベルの賞に推薦できます。

推薦者: 地区ガバナー
推薦期間: 通年
表彰形式: ピンおよびクリスタルの表彰

 

ロータリー財団功労表彰状

ロータリー財団と関連した活動に積極的に取り組んだロータリアンおよびローターアクターを称える賞です。

推薦者: 地区ロータリー財団委員長(地区ガバナーの承認が必要)
推薦期間:11月~12月
表彰形式: 電子形式の表彰状

 

ロータリー財団特別功労賞

ロータリー財団において模範的な奉仕を実践したロータリアンおよびローターアクターに与えられる財団最高の賞です。功労表彰状を受賞後、少なくとも丸4年が経過してから、財団特別功労賞の候補者となる資格を得ます。

推薦者: ロータリアンまたはローターアクターならどなたでも可
推薦期間:1月1日~2月28/29日

表彰形式: ピンおよびクリスタルの表彰

 

ロータリー財団地区奉仕賞

財団プログラムを通じて優れた奉仕活動を実践したロータリアンとローターアクターを表彰するものです。

推薦者: 地区ガバナー(地区財団委員長から提出された推薦を受理)
推薦期間: 通年(地区大会前が理想的)
表彰形式: 電子形式の表彰状

 

超我の奉仕賞

積極的なボランティア活動を行い、他の人びとを助け、模範的な奉仕を実践したロータリアンおよびローターアクターに贈られる特別な賞です。

推薦者: 地区ガバナー
推薦期間:10月1日~31日
表彰形式: ピンおよびクリスタルの表彰

 

ポリオのない世界を目指す奉仕賞

ポリオ根絶のために大きな貢献をしたロータリアンを称える賞です。地域賞と国際賞のために個人を推薦することができます。

推薦者:ロータリアン
推薦期間:毎年:7月~10月1日
推薦期限: 10月1日
表彰形式: 額入りの表彰状、楯

 

ポリオプラス・パイオニア賞

ポリオのない世界の実現に向けて類まれな貢献をしたロータリアンを称えるための賞です。1992年11月1日以前に、ポリオ活動で卓越した奉仕を行ったロータリアンが受賞対象となります。

推薦者:ロータリアン
推薦期間:毎年:7月~10月1日
推薦期限: 10月1日
表彰形式: クリスタルの表彰

このほかにもインターアクト・ローターアクトに関する表彰やロータリアン以外の学友の表彰も数多くあります。
私達はこうした個人ボランティアークラブ奉仕事業ーグローバル奉仕事業に結ばれる貢献を形にして表彰するという制度を持っています。
この制度をもっと活用して、自己研鑽をしながら「I Serve」を実践してみたらいかがでしょうか。

まずは100%例会出席を目指し、7月から1年間皆勤出席会員を表彰いたします。ぜひ頑張って皆勤賞を取得しましょう。

本日は当クラブ会員の山田 毅さんの卓話です。奉仕の形がまだ、もやっとしているとの事。正直なお気持ちを書かれています。これから奉仕という言葉よりも自己研鑽という言葉に置き換えてみるとスッキリするのかもしれませんね。

よろしくお願いします。
 

メークアップ&ニコニコボックス

下記の皆様よりニコニコボックスを頂きました。

信州友愛RC 金児進君
「クラブ認証伝達式まで、あと少しですね。新クラブの記念すべきスタートですので、皆さんと共にお祝いしましょう。 ニコボックスに協力します。」

信州友愛RC 小池晃君
「今月末のチャーターナイトに向けてみなさん頑張りましょう!大嶋実行委員長様、よろしくお願いいたします。」

信州友愛RC 宮田繁ニ郎君
「笠原さま 卓話ありがとうございました。 認証伝達式たのしみです。」



下記の、1名の皆様よりメークアップを頂きました。

藤森康友様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
送ったのに証明書が来ないなどご不明な点がありましたらお知らせください。

卓話

自己小伝

信州友愛ロータリークラブ 会員 山田 毅様
          自己小伝
              信州友愛ロータリークラブ 山田 毅



この度、例会卓話として自己小伝の機会をいただきましてありがとうございます。
僭越ながら私の事について書かさせていただきます。
私は、1970年生まれで今年51歳になります。現在は、映像制作会社の信州映像舎株式会社で制作部長をしています。主な業務は、編集ですがディレクターや音声、ドローン撮影などもします。制作で手掛けるものとしてはローカルCMやローカル番組、自治体の観光ビデオや企業のPRビデオや式典の記録など多岐に渡ります。入社して21年、おかげ様で日々なんとか業務をこなしています。ここで少し私の生い立ちについて書いていこうと思います。
私は大阪で生まれました。しかし、その後大阪で育ったわけではありません。
私の父親は、大手紡績会社に勤めていまして転勤族でしたので私も国内や海外など各地を転々とすることになるのです。
最初は1歳ごろに中米のエルサルバドルに家族で引っ越します。
エルサルバドルには6歳頃までいました。当時は日本人用の保育施設などなく現地の幼稚園に通っていたそうです。ですので私が最初に覚えた言語は、スペイン語でした。
帰国した時は、日本語が喋れず祖父母とは、親が通訳をしながら話をしていたそうです。
帰国後は、小学生の間に兵庫県西宮市、福井県敦賀市、愛知県犬山市、そして長野県南安曇郡豊科町と引っ越しを重ねました。この間に6校の小学校に通う事になりました。
豊科町に来たのは小学校6年生の時で、その後高校卒業まで豊科町で暮らしました。
高校は、地元の豊科高校でしたが、その時現在の道に進む一つの転機が訪れました。
高校2年の時、中学の時の同級生が「今日、部活でビデオ鑑賞会するから来てみない」と誘ってきました。その時のビデオが「グレムリン」と「ターミネーター」だったので当時見逃していたのもあり、鑑賞会に行ったのです。その部活が映画研究部でした。どういった流れだったかは、覚えていませんが確かビデオを見た後に入部をする事になりました。
当初ビデオを見るだけの部活かと思っていましたが、8ミリフィルムで作品も作っていました。この作品作りが意外に面白くハマって行きました。
先輩たちが卒業したあとは、編集機材が使えなくなりましたが幸いにも父親が8ミリフィルムの映写機や編集機材一式持っていましたので、問題なく作品を作る事が出来ました。
3年生の時には文化祭で上映する為に徹夜をして編集をしたのは今でもいい思い出です。
高校卒業後に、もうひとつの転機が訪れました。それは、大学受験の失敗です。
京都で1年間浪人をするも受験を失敗、当時は大学受験の失敗=人生の落伍者という価値観でした。
失敗した時は「この後の人生どうなるんだろう」と不安に押しつぶされそうでした。しかし、「三つ子の魂百まで」ではありませんが、幼いころに触れていたラテン系の文化のおかげか、限界まで不安になると逆に楽観的になり、いい意味で開き直る事ができ「どうせだったら好きな事を仕事にして生きていく」と腹を括る事が出来ました。

その後、映像関係の専門学校へ行くも色々あり退学する事になりましたが、当時の友人のつてで京都の小さい映像制作会社に就職する事ができ、何とか映像業界でのキャリアをスタートさせる事が出来ました。
京都の会社は、7年ほど勤めましたが28歳の時に結婚を機に退社して長野に戻って来ました。
2年ほど全然違う仕事をしていましたが、やはりもう一度映像関係の仕事をしたいと強く思うようになり、縁あって現在の会社に入る事が出来、21年が経ちました。
さて、ここまで読んでいただければ判りますように、これまでほぼ奉仕活動とは縁に内人生を歩んできました。「ほぼ」というのは、実は15年ほど前に世界的な奉仕活動団体(ロータリークラブではありません)の番組を制作させていただいた時がありました。
それは、フィリピンでの医療奉仕活動を取り上げた特番で私は現地取材でのサブカメラとサブディレクター、そして編集として携わりました。
活動自体は、素晴らしいものだという事は確かだったんですが、なにか自分の中でモヤッとしたものがあったのも事実でした。
うまい事文章にする事ができないのですが、自分の中で「奉仕活動」というものに対して何か肯定的にとらえられない側面を見てしまった感じでした。
それから15年経ち、今回大嶋副会長からロータリー入会のお誘いを受けました。正直、少し迷いましたがこれも何かの縁と思いましたのと、奉仕活動というものは自分でやらなければその本質がわからないものだという思いがあり入会させていただきました。

これから、会員の皆様から色々教えて頂ければと思います。
長くなってしまいましたが私の拙い卓話をお読みいただきありがとうございました。