信州友愛ロータリークラブ 例会
2021年6月2日開会 (通算21回)

例会開催は、毎週水曜日0時より開催となっております。

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

ロータリーソング 「奉仕の理想」
1.
奉仕の理想に集いし友よ  
御国に捧げん我等の業
望むは世界の久遠の平和  
めぐる歯車いや輝きて
永久に栄えよ 我等のロータリー ロータリー

皆さん、こんにちは。6月に入りました。本来ならこの6月は梅雨の季節と言われていますね。今年は異常気象なのでしょうか。
それともこれから、これが日本の季節になってしまうのでしょうか。
6月といえば紫陽花。昔、学生の頃北鎌倉で下車をして、鎌倉まで徒歩でお寺巡りをしたことがありました。
ちょうど紫陽花が咲く季節でした。なので紫陽花を見るたびに昔のことを思い出します。

さて、今回は貧困と教育について考察してみたいと思います。
貧困はどのような状況が影響するのでしょうか。確かに日本の戦後間もない時代は物資が得られず、まさに絶対貧困の中にありました。
現代はどうでしょう。日本はG7先進国入りしてまさに近代国家として不自由のない経済国家だと思われますが、
現実は日本国内の若者の7人に一人は困窮状態だそうです。なぜそうなってしまったのか。
まず一次産業の衰退が挙げられます。以前は身体を張った力仕事が多く、特に教育は必要としなくても生計を立てるには問題がありませんでした。
こうして一次産業の衰退によって、二次、2.5次産業に移行してくると、仕事においてはかなりの専門性を必要としてきます。つまり、専門的な知識を身に着けておかないと社会で通用しなくなってしまいます。
その専門的な知識は習得するにはしっかりと教育を受けなくてはなりません。現代社会は、離婚率が上がりそれによって母子家庭が増え、子供に満足な食事や教育を受けさせることが困難になっていきます。また、教育を満足に受けられない子供は安易にアルバイトや不定期職に進み低賃金で過ごすことになります。この人たちがやがて家庭をも持つとさらに、その子供は貧困環境に落ちてしまいます。そして全てを地方や国からの保護援助で生きていくというスパイラルに入ってしまいます。これでは国力も衰え貧困層もさらに増えていくことになります。
私達は、こうした困窮する子供たちの自立支援の為に、しっかり教育を受けさせてやることが大変重要かと考えています。
ただ貧困の子ども達に食事を与えるだけでなく、自立のための支援プログラムを実践させる必要があります。自立支援を受けた子供たちが、やがて専門的な知識を身に着けて充分に自身で生計を立てられるようになることを望みます。

本日は 音楽家である信州友愛ロータリークラブ会員の笠原芳子様に自己小伝の卓話を頂きます。よろしくお願いします。

 

メークアップ&ニコニコボックス

下記の皆様よりニコニコボックスを頂きました。

信州友愛RC 市川誠君
「室川様 貴重なお話をお聞かせいただき ありがとうございました。 これからも どうぞよろしくお願い致します。」

信州友愛RC 市川誠君
「倉島様 自己小伝をお聞かせいただき ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。」

信州友愛RC 金児進君
「いよいよクラブ加盟認証伝達式まで1か月となりました。クラブ誕生のお祝いなので皆さんと一緒にお祝いしましょう。何とかリアルに実現できますように」

信州友愛RC 乾みゆ紀君
「6月がスタート致しました。また気持ちを新たに今月も頑張りたいと思います!」



下記の、1名の皆様よりメークアップを頂きました。

藤森康友様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
送ったのに証明書が来ないなどご不明な点がありましたらお知らせください。

卓話

自己小伝

信州友愛ロータリークラブ 会員 笠原 芳子様
             自己小伝
          信州友愛ロータリークラブ 笠原芳子                 

                                                              
 
 今回の例会卓話の自己小伝を仰せつかり、改めて自分自身の今までの生きてきた道を
振り返る貴重な機会をいただきました。日々の忙しさや予定されている諸事への対応等で過ごし、過去を振り返らないことをモットーに前だけ見て生きてきた私にとって、改めて「私ってなぁに?」と自己探索が始まりました。 私は、成人してからの仕事の殆どが音楽と演奏活動なので、余りにも多すぎる記憶の中、どのように表現しお伝えできるかを考えた末、
1,現在。2,過去。3,これから。・・・この3つの観点から書きたいと思います。
 
1,私の現在(現在とは、この2年間位のことです)

   ①音楽活動・・自宅の教室と外の教室でのフル活動です。以前は、生徒さんが多すぎてきりきり舞いで夜9時頃までレッスンでしたが、母のうつ病へのケアで夜のレッスンを全てやめ夕方6:30終了としています。只、土日限定の生徒さんへの対応がありそこは調整で乗り切っています。演奏活動は、私の命・生きる道です。コンサートで演奏への熱い想いを伝え、私の全企画・進行による達成が醍醐味でしたが、このコロナ禍で全てのコンサートが中止となり、悲しく辛い長い時間を過ごしてきました。
    その中、昨年12月松本養護学校高等部から「大阪への修学旅行がコロナで中止になり、生徒がガッカリしている。以前も何回かコンサートしてもらった笠原さんに修学旅行の代わりとしてエレクトーンコンサートをしてほしい。ホテルブエナビスタで万全のコロナ対策をして、コンサート前に生徒と職員の豪華な食事を。その後にお願いしたい」と連絡がありました。何と10日後のコンサート!記念のコンサートですから、重大責任です。そこで考えたのは、生徒さん達からリクエストを頂き、可能な限りの曲を演奏することです。 生徒さんたちの喜びの顔と大きな拍手、演奏することの最高の幸せに胸が熱くなりました。この年の、最初にして最後のコンサートは一生忘れられず、大きな励みになりました。
 
   ②国際ゾンタ26地区会計     

    26地区とは、北海道から沖縄までの全45クラブの日本のことです。(奇しくも当ロータリークラブは2600地区ですね)1昨年、ちょうど台風19号が上陸した時期、北九州で地区大会がありドイツから国際会長が出席の中、地区役員等の選挙が行われました。私はまさかの当選で、まさかの坂を2年間上ることになってしましました(涙)私の人生の中で唯一の「晴天の霹靂」です。始めは困惑と戸惑いで逃げ方ばかり考えていましたが、考え直したのです。誰もが経験できない貴重な日本の三役に就けたのだから、きっと新しい世界があり勉強の場となる、国際とのコンタクトも多くきっとワクワクがあるに違いないと。しかし現実はそう簡単ではありません。親友はPCになってしまいました。でも8人でのZOOM地区理事会が頻繁の中、皆さんと心友になれた事が何よりの宝物と感謝し、残り1年2か月の任期を何とか全うしたいと思います。
③安曇野にジブリの世界をつくる会   
 
11年前、中学同級生経営のご飯カフェでお客さん達から「安曇野市に元気がない。こんな素晴らしい自然の中で、将来ある子供たちに夢を届けよう!」と声が上がり、「スタジオジブリ制作映画から発信しているメッセージを、音楽で,形にしよう」と、結成されたのがこの通称ジブリ会です。こちらもコロナ禍の中、昨年コンサート中止。活動休止でしたが、この4月から役員会を開き、無観客でもコンサート・・企画中です。
    
2,私の過去(生後から現在より3年前まで)
   ①音楽への歩みと経過  




    私は、当時の南安曇郡豊科町(豊科銀座4丁目(笑)で、当時の蔦屋呉服店(その後ファミリーファッションツタヤ)の長女として生まれました。父武晴、母志げるです。ここは長くなるので省きますが、度々幼稚園の先生から、ピアノ(音楽)の道を強く薦められ3~4才から始めたと聞いております。何人か先生が変わり、オーディションを経て 晴れて東京在住の先生の生徒になりました(小学生としては特別合格でした)レッスンは別荘のある信濃森上、東京、松本いずれかで月1回の音大受験並みの厳しいレッスンでした。しかしその先生とはそりが合わず、高校2年生になった私は、或る日レッスンを抗議ボイコット。その後名古屋の他の先生につくも興味を失い、ピアノを止めました。でも、この厳しい芸大の先生のご指導によって今の私の基礎を作って頂いたと、今では心から感謝しています。(その後エレクトーンの道に進んだ経緯はまたの機会にお伝え出来たら幸いです)エレクトーン(YAMAHAの登録商標です)の虜になった音楽人生を送り、今の私があります。私のコンサートは、劇場型~シナリオ~で作り上げます。エンターテイメントの要素を入れ、同じステージをしないように企画してきました。ホテル等でのディナーコンサート始め、数えきれない様々なステージは宝物です。又、1993年の信州博では、長野県からのオファーで、当時のグローバルドーム(現やまびこドーム)で唯一のエレクトーンソロコンサートを開催して頂いたのも忘れられません。
 
    ②国際ゾンタ26地区松本ゾンタクラブ 


 
     33年前、食道がんで入院しその病院でMRSA院内感染にかかり、命を落とした父の看病中、私は胃前がん病変で緊急手術、術後すぐに腸閉塞となり多くの余病も発症して辛く長い年月を送ることとなりましたが、自宅での療養中、ある生徒から手紙が届きました。「先生、私は毎日つまらないです。早くよくなってレッスンをしてください。待っています」という内容でした。目が覚めました。私は何て甘えていたのだろうと。これが再起できるきっかけ・・・音楽に救われたのです。そして、苦しい闘病生活を送る方々に私の演奏を届けようと、当時誰もしていなかったボランティアコンサート(私のエレクトーンを運搬)を続けました。ある女性医師から「あなた一人の力では及ばないことを仲間で一緒にしましょう。大きな力になるから」と誘われて入会したのが、松本ゾンタクラブです。アドボカシー委員長として2017年から連続3年間SDGsの勉強会講師を担当しました。又、第1副会長として横浜での国際大会にデリゲート出席して、世界の方々と交流できたのも、貴重な経験でした。
 
   ③安曇野にジブリの世界をつくる会   



    会発足の2010年から毎年、音楽を通して様々な想いを伝えるコンサートや、キッズフェスティバルを開催してきました。年会費1,000円、30代~80代男女の会員約40名が心合わせての楽しい活動でした。ジブリこども合唱団も結団して、声楽専門家のご指導と私の教室も解放して合唱練習し、キッズコンサートのステージでその歌声も披露してきました。花園認定こども園の園児たちも、園児合唱団として数回ステージを踏みました。可愛かったです。キッズコンサートから発展して、一般の部ステージも設け、オカリナ・二胡・クラリネットアンサンブル、ハーモニカ、ピアノ演奏方々も出演しました。皆さんの笑顔がどれだけ会員の励みになった事か。打ち上げでの美酒は格別でした。
 
3,これからの私  
 
  ①信州友愛ロータリークラブ会員として
    大嶋三紀夫副会長から、光栄にも入会のお声がけをいただき、チャーターメンバーとして会員となることができました。新しい世界、発見、学びがきっと私を待っていてくれると楽しみにしています。どうぞ、よろしくお願い致します。
  ②音楽活動
   引き続き、3才~70代の生徒さん達に音楽を楽しんでもらえるレッスン。そしてコロナ禍の中、8月29日(日)南涯館でのコンサート・・大竹英二ハーモニカ世界チャンピオンとの響演・共演・競演に向けて張り切っています。11月のジブリコンサートでは、
    ピアノとエレクトーン各々で全てのスタジオジブリ映画の曲(一作品で一曲)演奏の企画を立てています。
③母との生活
母は2年半前の2回目の骨折後、自宅での生活が不可能となり現在は松本市のシニアホームで生活をしています。その母を自宅に迎え自宅介護での生活を楽しんでもらえるよう、きっと実現したいと思います。
 
長くなって申し訳ありません。人生初にして最後かもしれない自己小伝の機会をいただき感謝申し上げます。