自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 会員 倉島 悟様
自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 倉島 悟
この度例会の卓話として自己小伝の機会を頂いたことに感謝を申し上げまして僭越ながら私自身の事について載せさせていただきます。
1977年に佐久市で生まれ小さい頃からスポーツが大好きな子どもでした。小中高とスポーツに熱中し、埼玉県の大学に進学しましたが当時不景気で入学と同時に大学側から就職するためには資格を取りなさいと言われ強い違和感を覚えてすぐに退学して東京で働き始めました。
24歳の時に家業である長野スーパー株式会社に入社し、一番の下っ端から働き始めました。業種は建設業の設備工事業になります。
約10年間現場に身を置き朝も夜も休日もずっと働いておりました。
ただ、途中から伸び悩みはじめ現場でも上手く作業が出来ないことがあり肩身の狭い思いをしました。
当時このままだったら会社にいられなくなると思いどうやったらこの会社に残ることが出来るか考え、先ずは資格を取得しようと片っ端から資格の勉強をして取得していきました。
資格取得をしていくと、この業界の本質が見え始めやっと仕事の本当の面白さを知っていきました。
34歳の時、初めて現場の責任者も任されて中学校の新築工事を担当させて頂きました。
当時はまだ現場作業の事しか分からずCADも初めてで、たった2本の線を図面に描くのに徹夜をしたくらい何も分からない状態で現場管理という分野に放り出されました。
幸いなことに現場作業は身をもって知っておりましたので曲がりなりにも無事完成できましたが、あの時の何が何でもやり抜くという今の自分の原点を発見できたと思います。
40歳の時先代である父から会社を引継ぎ代表取締役として現在に至ります。代表になった時に忘れもしないのが、弊社代表宛にある会合の出欠通知が来た時その対応をどうするべきか父に相談したところ「お前が判断するんだ」と一言だけ言われたことです。その時はこれが社長の仕事なのかと衝撃を受けましたが、時間が経つごとにその言葉の中に「今の判断は間違っていないか?」「その判断の根拠は何だ?」等色々な思いが詰まったことであると思い知らされている毎日です。
ロータリーは父が佐久コスモスRCに所属しておりますが、私は全く分からず、ただ弊社の就業規則や労働関係について色々ご相談しておりました当会のサンクスメンバーである丸野さんからの勧めで入会したのが経緯でございます。
コロナ禍で既存の価値観が片っ端からひっくり返る中でこのような取り組みも興味がありました。
ロータリアンとは何かを未だ勉強中の身ではございますが会員の皆様から色々教えて頂ければと思います。
拙い卓話でしたが本日はありがとうございました。