「クイーンという存在」
信州友愛ロータリークラブの会員の皆さん、こんにちは。
今年の大晦日、恒例のNHK紅白歌合戦に、イギリスのロックグループ「クイーン」の出演が発表されました。とは言ってもオリジナルメンバー4人のうち出演できそうなのはギターのブライアン・メイとドラムのロジャー・テーラーのみ。どちらもかなりの高齢
者で、当日の健康状態も心配されます。
話は変わりますが、私が高校3年生だった1980年の12月8日に、ジョン・レノンがニューヨークのダコタアパートの玄関前で、待ち伏せていたファンの銃弾に倒れこの世を去りました。ビートルズは1960年代に活躍したロックバンドで最後のアルバムは1970年に出ましたが、当時はすでに活動休止状態でした。
私は1970年にはまだ小学校2年生で、彼らが現役だった頃をほとんど知りませんが、中学になった頃はカセットテープやFMの番組などでビートルズを聴いていました。多くの彼らの楽曲は「レノン&マッカートニー」とクレジットされ、ほとんどがジョン・レノンとパール・マッカートニーの作詞・作曲によるものでした。
ビートルズのファンであったとは言えると思いますが、ジョン・レノンに心酔していた訳ではなかったと思います。しかしジョンの突然の死は高校3年の私に大きなショックを与えました。身内以外の人の死が人生に影響を与えることもあるのだと、初めて知りました。
それから11年。前年に結婚し、新婚旅行で訪れたニューヨークのダコタアパート前でカミさんとジョン・レノンの冥福を祈った私は、1991年11月24 日にクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの死を知らされます。ジョン・レノンの時と違い、フレディ・マーキュリーの死はエイズによるものでした。私はフレディらしいと納得し、静かにその事実を受け入れました。クイーンは好きだし、「ボヘミアン・ラプソディ」なども好んで聴いていましたが、フレディ・マーキュリー本人は残念ながら自分とは価値観が大きく違うとも感じていました。
クイーン、そしてフレディ・マーキュリーについて改めてその存在の偉大さに気がついたのは、2018年に発表された映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見た時です。1985年に行われた「LIVE AID」のDVDは既に発売されていたにも拘わらず、私は恥ずかしながら、クイーン、特にフレディ・マーキュリーの圧倒的パフォーマンスをその時まで知りませんでした。ロンドンのウェンブリースタジアムで行われたライブから実に23年が経過していました。
映画の終盤、21分間の出演だった「LIVE AID」のシーンが再現されます。中でも私が感動したのは、「ボヘミアン・ラプソディ」でも「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」でもなく、「レディオ・ガガ」でした。ロジャー・テーラーの作詞・作曲になるこの曲を、私はクイーンの曲の中では駄作の部類に入ると思っていましたが、フレディが突き出す拳に合わせて会場の観衆全員が自らの頭上で手を叩く。ロジャー・テーラーが言う「
コネクト」、観客とクイーンが「つながった」瞬間でした。
あの日のフレディ・マーキュリーは、まさに渾身のパフォーマンスで観客を熱狂させたのだと思います。世界同時中継が組まれていたはずですが、テレビであっても「同時体験」できなかったことが残念でなりません。
今年、フレディ・マーキュリーのいないクイーンを、紅白歌合戦で見たいと思います。あの日のウェンブリースタジアムでのクイーンのパフォーマンスを思い描きながら
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