信州友愛ロータリークラブ 例会
2021年3月17日開会 (通算11回)

例会開催は、毎週水曜日0時より開催となっております。

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

ロータリーソング 「我等の生業(なりわい)」
1.
我等の生業 さまざまなれど   
集いて図る 心は一つ
求むるところは 平和親睦   
力むるところは 向上奉仕
おゝロータリアン 我等の集い
2.
奉仕に集える我等は望む   
正しき道に果(このみ)をとるを
人の世挙(こぞ)りて光を浴みつ   
力を協(あわ)せて争い忌むを
お ゝロータリアン 我等の集い
皆さん、こんにちは。
3月27日はPETSが行なわれます。このPETSというのはプレジデント エレクト トレーニング セミナー という事で次年度会長候補者が対象となる研修です。
このPETSを受講修了することで正式に会長エレクトとなるわけです。 いいかえればこのPETSを受講しないと会長になる資格を得られないという事です。
いよいよこのPETSが始まると現年度から次年度への引継ぎが行なわれ、現年度も、残りわずかという事になります。私の場合はクラブ創立後半年間と次年度1年間の会長職があります。
以前のクラブでも既に幹事・会長を経験していますのが、今回は新しいクラブでの会長ということで気持ちも新たに新年度に臨むことができます。

このPETSを経て、いよいよ次年度のクラブ計画が策定されてきます。クラブ計画はRI会長の方針に基づき、地区ガバナーの地区方針からクラブの年度方針へとトップダウンされます。
単年度でその計画が全て実行され実現されるとは思いませんが、もう少し複数年度に渡ったクラブ自身の事業計画を策定してもいいのかなとも思います。クラブテーマは「地域と繋ぐそして世界へ繋ぐ」です。
 さて私の会長年度まだまだ残っておりますが、クラブ創立後は皆さんのご協力により、クラブの運営もスムーズに進行しています。
この年度ではまず会員のロータリーへの関心を高め、奉仕を知るというテーマを最優先し、クラブの地盤固めをしなくてはなりません。そして残り3ヶ月で、もう少し会員増強をしていきたいと思っています。
 ロータリーの魅力や、クラブでの奉仕活動を通して広く地域に告知していくべく、さらなるご協力をお願いします。
 次年度におきましても委員会活動に入る前の前段階として多くの情報を集め、選択をしながらクラブ計画としての奉仕事業を作成していきたいと考えております。
 団体での奉仕活動はロータリーの場合では主の目的ではなく、奉仕のサンプルだと言われています。例会・団体奉仕活動で学び個人の奉仕活動で、それを実践していくというのがロータリーです。
 次年度はRLI委員会のディスカッションリーダーを委嘱されましたので、再びRLIに携わることになりました。クラブ創立の発端はRLIからです。多くの広域な地域に居住するロータリアンとも親しくお話できる機会も増えました。クラブ内だけの親睦ではなく、近隣や、地区内のロータリアンとも広く情報交換ができれば大変理想的です。

本日の卓話は信州友愛ロータリークラブ会員で軽井沢在住の土屋 尚一さんです。よろしくお願いします。

メークアップ&ニコニコボックス

下記の皆様よりニコニコボックスを頂きました。

信州友愛RC 宮田繁ニ郎君
「村松様卓話ありがとうございました。」

信州友愛RC 金児進君
「村松さん、卓話ありがとうございました。 3月といえば東北大震災で日本中が揺れたことを思い出します。もう10年前になるのですが、災害は忘れたころにやってきます。もう一度引き締めて防災意識を高めていきましょう。 本日もニコボックスに協力します。」

信州友愛RC 大嶋三紀夫君
「私の関わっている松本ユネスコ協会事務局が南涯館に新たに移転しました。よろしくお願いします。」

信州友愛RC 村松正勝君
「今週は初めて卓話を担当させて頂きました。 ありがとうございました。」

信州友愛RC 市川誠君
「村松様 会員卓話 自己小伝をお聞かせいただき ありがとうございました。 金児会長様 初の社会奉仕事業 お疲れ様でした。直接ご参加頂いた皆様 ありがとうございました。」



下記の、1名の皆様よりメークアップを頂きました。

藤森康友様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
送ったのに証明書が来ないなどご不明な点がありましたらお知らせください。

卓話

自己小伝

信州友愛ロータリークラブ 会員 土屋 尚一様
自己小伝
                      信州友愛ロータリークラブ  土屋 尚一
ロータリアンとしてのエピソードではございませんが、ご了承ください。

 
略歴
私は、1954年に母親の実家のある長野市で生まれました。
中学生になって、親の子への期待と自分の希望が合わず親元を離れたかった私は、卒業と共に家を出て広島県江田島にある海上自衛隊の術科学校で電子工学を学びました。同時に術科学校生徒は広島国泰寺高等学校生徒として同高の卒業資格をもらいます。(今は陸上自衛隊だけに同様な制度が残っています)
高校卒業後は防衛大学校に進み、卒業後に陸上自衛隊に入隊、幹部候補生学校を経て、1980年に熊本市にある北熊本駐屯地の通信部隊に赴任しました。
しばらくして、1979年に設立された熊本北ロータリークラブから駐屯地司令に、「熊本北ローターアクトクラブに若手隊員を」と申し入れがあり、ロータリークラブの趣旨に賛同した駐屯地司令の後押しで、ローターアクトメンバーとなりました。1981年設立された熊本北ローターアクトクラブ初代メンバーは、自衛官と会社員合わせて10名(内女性メンバー2名)位だったと記憶しています。
しかし、若手幹部自衛官は臨時勤務で移動(長期出張みたいなもの)が多く2年間のローターアクトで活動できた期間は、半分位でした。
1983年3月、防衛大学校理工学研究科(大学院修士課程相当)学生として転勤になり、ローターアクトクラブを退会しました。
研究科ではコンピュータのフォールトトレラント技術に関する研究に携わり、卒業後は情報部隊の電子計算機科に転勤となり、バッチ処理していたコンピューターシステムをオンライン化する業務のSEをしていましたが・・・、2年程経つと転勤の時期になります。「次は北海道か東北の中隊長かな」と思っていたところ、勤務先の人達から「あなたは指揮官より技術職に向いている」と言われ、転職を決めました。
1986年、長女が退職4日前に生まれたばかりの時、設立して間もない50人程のシステムハウスに転職しました。転職後、制御系システム設計技術者からライン職となり多忙な日々を送っていました。
10年程して社員が500人を超え、会社規模が大きくなってきた時、個人の力量頼りの会社運営に限界がきて品質問題が顕著化しました。組織品質の重要性を訴えていた私にその命が下され、品質保証プロセス構築と品質保証活動に専念することになりました。会社規模も社員1000人を超え、プロセス重視がほぼ定着した頃、既に定年を迎え3年が経ち、徐々に親の介護も負担になりつつあったので、仕事に区切りをつけ現在に至ります。
 
貴重な経験談(出会いに感謝)
熊本北ローターアクトで活動していた時に重なりますが、1982年の新年を迎えて間もなく、新入隊員教育の教官を命ぜられ、3月から6月まで佐世保にある相浦駐屯地に臨時勤務しました。
 
3月、教育環境の準備と担当する入隊予定者の履歴書を見て顔と名前を覚えることで終えました。

4月、教官と助教は新入隊員と食住を共にしながら全国の部隊に彼らを送り出すまで、社会人かつ自衛官として最低限必要な言葉使いや知識と技量を習得すべく3ヶ月間教育・訓練が始まりました。
入隊の動機は様々ですが、高校生の時に暴走族だった、ツッパリだったが生き方を変えたいと言うヤンチャ派、幹部や陸曹を目指したいと言う真面目派、親に鍛え直してこいと言われた軟弱派、いろいろ資格を取りたいという堅実派、とりあえずやりたいことが無いのでと言う無気力派、etc.・・・
正直「大丈夫か?」と思われる若者も居ました。
ところが、ひと月もすると教育・訓練の成果が現れ言動がそれらしくなってきて、大人らしくなってきました。
 
5月の中旬過ぎ、佐世保学園(少年院)の入院生が新入隊員の訓練を見学に来ました。聞くところによると、同世代の若者が汗を流し、歯を食いしばって訓練をしている姿を見学するようになってから退院後の再犯率が低いとのことで、恒例になっているとのことでした。
 
6月上旬、教官は全国の部隊からの要請に沿って新入隊員の職種と赴任先を決めます。本人や親御さんの希望は考慮しますが、望み通り行かないのが世の常、職種適性検査の結果と家庭事情を考慮して職種と任地を決めます。若者の将来に影響することなので、夜遅くまで4人の教官で作業が続きました。
職種を取るか、任地を取るか、両方本人の希望通り決まった若者は2割に満たなかったと思います。
 
6月末、3ヶ月の教育修了式で久しぶりに子息に会った殆どの親御さんは、社会人らしくなった子息の言動に驚かれ、教官と助教に感謝の言葉をかけてくださいます。特に何人か高校時代ヤンチャだった若者のご両親から涙ながらにお礼の言葉をいただいた時には感無量でした。
全国に旅立つ新入隊員を見送って直ぐに教官と助教も自分の部隊に帰り、彼らと再開することは殆どありません。これを一期一会と言うのでしょうか。
 
今日まで沢山の人々と出会い経験した事、繋がりが自己形成の礎になっていると思います。そして、人との出会いと繋がりを大切にしたい思いで長年にわたり海外からの留学生や研修生のホームステイの受け入れをしてきました。しかし、既に仕事から引退し、更に新型コロナウィルスの流行で2020年はホームステイ無し、バイクでツーリング無し、息子から「引きこもり老人」と言われる始末でした。
 
ちょうどその時、バイク仲間の金児会長からお誘いを受けてメンバーに加えていただきました。皆様との出会いに感謝して、微力ではありますが信州友愛RCのクラブテーマに貢献したいと思います。

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019 JCI Academyで来日して我が家にホームステイした国際青年会議所カナダ代表の青年とFarewell Party 

2020年秋にまた来ると言っていたのですが、予定が新型コロナの影響で実現できませんでした。

2019 軽井沢高校に短期留学で我が家にホームステイしたオーストラリアの女子高生が昨年12月初旬に送ってくれたクリスマスカード、今年の28日に届きました。

国際郵便もかなり新型コロナの影響を受けています。