自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 会員 土屋 尚一様
自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 土屋 尚一
ロータリアンとしてのエピソードではございませんが、ご了承ください。
略歴
私は、1954年に母親の実家のある長野市で生まれました。
中学生になって、親の子への期待と自分の希望が合わず親元を離れたかった私は、卒業と共に家を出て広島県江田島にある海上自衛隊の術科学校で電子工学を学びました。同時に術科学校生徒は広島国泰寺高等学校生徒として同高の卒業資格をもらいます。(今は陸上自衛隊だけに同様な制度が残っています)
高校卒業後は防衛大学校に進み、卒業後に陸上自衛隊に入隊、幹部候補生学校を経て、1980年に熊本市にある北熊本駐屯地の通信部隊に赴任しました。
しばらくして、1979年に設立された熊本北ロータリークラブから駐屯地司令に、「熊本北ローターアクトクラブに若手隊員を」と申し入れがあり、ロータリークラブの趣旨に賛同した駐屯地司令の後押しで、ローターアクトメンバーとなりました。1981年設立された熊本北ローターアクトクラブ初代メンバーは、自衛官と会社員合わせて10名(内女性メンバー2名)位だったと記憶しています。
しかし、若手幹部自衛官は臨時勤務で移動(長期出張みたいなもの)が多く2年間のローターアクトで活動できた期間は、半分位でした。
1983年3月、防衛大学校理工学研究科(大学院修士課程相当)学生として転勤になり、ローターアクトクラブを退会しました。
研究科ではコンピュータのフォールトトレラント技術に関する研究に携わり、卒業後は情報部隊の電子計算機科に転勤となり、バッチ処理していたコンピューターシステムをオンライン化する業務のSEをしていましたが・・・、2年程経つと転勤の時期になります。「次は北海道か東北の中隊長かな」と思っていたところ、勤務先の人達から「あなたは指揮官より技術職に向いている」と言われ、転職を決めました。
1986年、長女が退職4日前に生まれたばかりの時、設立して間もない50人程のシステムハウスに転職しました。転職後、制御系システム設計技術者からライン職となり多忙な日々を送っていました。
10年程して社員が500人を超え、会社規模が大きくなってきた時、個人の力量頼りの会社運営に限界がきて品質問題が顕著化しました。組織品質の重要性を訴えていた私にその命が下され、品質保証プロセス構築と品質保証活動に専念することになりました。会社規模も社員1000人を超え、プロセス重視がほぼ定着した頃、既に定年を迎え3年が経ち、徐々に親の介護も負担になりつつあったので、仕事に区切りをつけ現在に至ります。
貴重な経験談(出会いに感謝)
熊本北ローターアクトで活動していた時に重なりますが、1982年の新年を迎えて間もなく、新入隊員教育の教官を命ぜられ、3月から6月まで佐世保にある相浦駐屯地に臨時勤務しました。
3月、教育環境の準備と担当する入隊予定者の履歴書を見て顔と名前を覚えることで終えました。
4月、教官と助教は新入隊員と食住を共にしながら全国の部隊に彼らを送り出すまで、社会人かつ自衛官として最低限必要な言葉使いや知識と技量を習得すべく3ヶ月間教育・訓練が始まりました。
入隊の動機は様々ですが、高校生の時に暴走族だった、ツッパリだったが生き方を変えたいと言うヤンチャ派、幹部や陸曹を目指したいと言う真面目派、親に鍛え直してこいと言われた軟弱派、いろいろ資格を取りたいという堅実派、とりあえずやりたいことが無いのでと言う無気力派、etc.・・・
正直「大丈夫か?」と思われる若者も居ました。
ところが、ひと月もすると教育・訓練の成果が現れ言動がそれらしくなってきて、大人らしくなってきました。
5月の中旬過ぎ、佐世保学園(少年院)の入院生が新入隊員の訓練を見学に来ました。聞くところによると、同世代の若者が汗を流し、歯を食いしばって訓練をしている姿を見学するようになってから退院後の再犯率が低いとのことで、恒例になっているとのことでした。
6月上旬、教官は全国の部隊からの要請に沿って新入隊員の職種と赴任先を決めます。本人や親御さんの希望は考慮しますが、望み通り行かないのが世の常、職種適性検査の結果と家庭事情を考慮して職種と任地を決めます。若者の将来に影響することなので、夜遅くまで4人の教官で作業が続きました。
職種を取るか、任地を取るか、両方本人の希望通り決まった若者は2割に満たなかったと思います。
6月末、3ヶ月の教育修了式で久しぶりに子息に会った殆どの親御さんは、社会人らしくなった子息の言動に驚かれ、教官と助教に感謝の言葉をかけてくださいます。特に何人か高校時代ヤンチャだった若者のご両親から涙ながらにお礼の言葉をいただいた時には感無量でした。
全国に旅立つ新入隊員を見送って直ぐに教官と助教も自分の部隊に帰り、彼らと再開することは殆どありません。これを一期一会と言うのでしょうか。
今日まで沢山の人々と出会い経験した事、繋がりが自己形成の礎になっていると思います。そして、人との出会いと繋がりを大切にしたい思いで長年にわたり海外からの留学生や研修生のホームステイの受け入れをしてきました。しかし、既に仕事から引退し、更に新型コロナウィルスの流行で2020年はホームステイ無し、バイクでツーリング無し、息子から「引きこもり老人」と言われる始末でした。
ちょうどその時、バイク仲間の金児会長からお誘いを受けてメンバーに加えていただきました。皆様との出会いに感謝して、微力ではありますが信州友愛RCのクラブテーマに貢献したいと思います。
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019年 JCI Academyで来日して我が家にホームステイした国際青年会議所カナダ代表の青年とFarewell Partyで
2020年秋にまた来ると言っていたのですが、予定が新型コロナの影響で実現できませんでした。
2019年 軽井沢高校に短期留学で我が家にホームステイしたオーストラリアの女子高生が昨年12月初旬に送ってくれたクリスマスカード、今年の2月8日に届きました。
国際郵便もかなり新型コロナの影響を受けています。