自己小伝
信州友愛ロータリークラブ 理事・村松 正勝様
自己小伝「今までと、これからへ」
信州友愛ロータリークラブ 理事 村松 正勝
皆さんおはようございます。(ウチら業界の挨拶は何時でもこれです。)
卓話ということで、ここまで来た経緯と、これからへ向けて思っていることをなるべく短めにお話ししたいと思います。
現在の私の職業は、コンビニエンス・ストア(セブンイレブン飯山木島店)経営です。
元々、生まれた時から家業が酒屋でした。(屋号 まる屋酒店 現在の社名になります。記録では昭和36年創業、私が三代目)
ちなみに、「まる屋酒店」の由来ですが、私の祖父(創業者)が飯山市の中心地の「まるごん」という百貨店(元は呉服屋、すでに廃業)で番頭をやっていまして、簡単に言うと「のれん分け」で名前を頂戴したという話を聞きました。
大学の頃から、家業を発展させるべく?「やるならセブンイレブンしかない!」と思っていました。
元々、戸狩スキー場(現戸狩温泉スキー場)のまだ奥の集落で酒屋を営んでいましたので、この場所ではコンビニ経営は難しい。本部の許可は下りるわけがない。というのはわかっておりました。
大学卒業後、小売りの勉強も兼ねて当時長野県内スーパーで勢いのあった株式会社マツヤに入社しました。
しかし、セブンイレブン本部の店舗開発(リクルート部)の方を近隣のオーナーさんに紹介して頂き、話が進み1年で退社してしまいました。
現在の当店の場所以外に2カ所候補地がありましたが、まだ発展途上地の段階でしたので現在の場所に決めました。
そこの地主さんから、土地を貸して欲しいと伺ったのは私らが三組目とお聞きしました。
運がよく三度目の正直?ということで、お貸ししますと!返事をもらい、本部とのフランチャイズ契約を結びました。(当時24歳)
しかし、最初の難関。資金の問題が発生しました!
私の名前では、金融機関の信用がないのでやむなく父の名義を借りて、スタート出来ました。
始める前は、複数店経営の夢がありましたがそんな甘いものではなかったですね
自分の休みが取れない日々が待っていました。
運よく売上が順調に上がりお店を始めて15年後に隣地が空き、土地を譲り受け狭小となった店舗を建て替え、店舗・駐車場含めて総面積約600坪の広さへと拡張することが叶いました。今までお世話になった地域の皆様へのご恩返しが出来たと自負しております。
ここまで来るまでには幾多の困難がありましたが、長くなるので省きますが。
さて、私が何故ロータリークラブにたどり着いたかです。
6年ほど前になりますが、なんと長女の小学校のPTA会長に選ばれてしまいました
きっかけは、選挙結果同数で妻がじゃんけんで負けたお陰で回ってきた大役でした(笑)
今まで仕事ばかりしてきて、学校とは無縁の生活を送ってきましたがひょんなことから小学校に通い詰めになります。
ここから、私の現在のスローガンである「地域と子ども達の未来のために」が生まれ、仕事オンリーだった私の生活がガラッと変わります。
また運の良いことに、その年度は飯水地区(飯山市・栄村)の長野県PTA連合会の県大会のあたり年でした(42年ぶりに回ってきた)
飯水PTA連合会の評議委員会に出席したら、私は何と輪番で接待・受付係長に決まっておりました。
そこから約5か月間、凄まじい日々が待っておりました。
無事に600人もの集まる県大会が終わったかと思いきや、来年度の飯水PTA連合会の会長に推されてしまいました。ただこの時は事前に「村松しかない」雰囲気になっておりましたので、妻には推されたら受けるよ。と話していました。妻は一言「断れよ」と言っていましたが
飯水代表に就いたお陰で、全国大会(徳島県)、関東ブロック大会(茨城県)にも行かせて頂きましたし、長野県下16郡市の当時のPTA仲間とは今でも連絡を取り合っています。
この活動を知って、当時のみゆき野飯山ロータリークラブに所属していた、Fさんの猛烈な誘いを受けました。店に通い詰めにあいました(笑)
「村松さんと俺なら、みゆき野を変えられる!」と。
PTAの役目が終わったらお受けします。と答え、翌年春にロータリアンとなりました。
さて、これからどうすべきか?この厳しい時代、全世界の大変革期にちっぽけな私(私たち)に出来ること。私の信条は「自分がやらずに誰がやる」
「地域と子ども達の未来のために」考え・実行し・検証し・改善を多くの皆さんで情報を共有し、行うべきかと思います。
人生、多くの方々との出会いがありますが、生かすも殺すも自分次第。
出会いは偶然だったかもしれませんが、必然であるはずです。この「偶然の必然」に感謝し、多くの皆様とつながりご先祖様方に顔向けできる未来を、子供たちに残していきたいと思っております。
今、私たちの社会生活が成り立っているのは特に戦後に復興を成し遂げてきた諸先輩方のお陰であるはずです。どのような思いで、戦後の先輩方は生き抜いてきたか?過去を振り返ることに抵抗がある方は多いと思いますが、私は「日本人の心、大和魂」というものを大人が再度認識すべきだと思います。
最後に、実業家兼講演家 中村文昭の言葉「大人が変われば子どもが変わる。子どもが変われば未来が変わる。」
故日野原重明 医師の言葉。「命とは、誰かのために何かをする時間の事なのです。」